大学院生、初めて実習TAをする

大学には、TA(ティーチングアシスタント)という制度がある。

大学院生が、大学から賃金をもらいながら、教員の講義や実習のお手伝いをするという制度だ。

(ちなみに時給は平均+αくらいで、労働時間も大して長くないので、当の大学院生からするとちょっとした短期バイトくらいの感覚である)

自分は京大のM1だけど、今まさに学生実習のTAをしている。詳細はぼかしつつ、TAとして学生に相対する上での現時点での心構えを書き留めておこうと思う。

学問的に誠実な受け答えをする

大学院生なので、実習を受けている学部生からは、「自分より知識がある人」というふうに見られている。そういう体で質問されることが多い。

確かに自分の知識で正確に答えられる質問も多いんだけど、とはいえ怪しいこともある。

問題はそういうときだ。誤った内容を伝えてしまうと、学生は普通に信じてしまうので、それは絶対に避けたい。

自分がミスってる可能性が少しでもあるなら、「〇〇だと理解してるけど間違ってる可能性もある」「教授に聞いたほうが正確だと思う」という提示に即座に切り替えたい。

もちろん日常会話でも基本的にこのスタンスを取るべきだけど(嘘を言いまくると当然信用されなくなる)、ここで言っているのは足切りの精度の話だ。

普段の会話では、80%くらい正しそうなことは正しいという体で発話するとしたら、TAでのそれは95-100%くらいにしたい。

積極的に声をかける

今やってる実習だと、TAと学生が同じ宿舎に泊まることになっている。

そうすると、TAに求められている仕事は、「学びをサポートする」ほかに「学生の滞在をサポートする」があると考えるべきだろう。

何かトラブルがあった場合に、TAに相談する心理的なハードルは低ければ低いほどいい。そこで学生が相談できず、事が大きくなったらTAである自分も困っちゃうし。

ということで、なるべく話しかけやすい大学院生を演出している。し、学生みんなに積極的に話しかけるようにしている。

さっきも学生とシャワーの順番を賭けてUNOをやった。ドロフォーをたくさん食らって中盤枚数が増えたが、何とか真ん中くらいの順位に収まったのでよかった〜〜というのは別の話。

1, 2回生が多い実習なので、学生との間に結構年齢差があって、「なめられるんじゃないか」みたいなことを思ってしまう自分もいるけど、冷静に考えてそれはおかしいわな。

学生はお金(学費+実習の実費)を払って学びを得るために参加しているのに対して、自分は大学から給与をもらって参加しているから、学生ファーストで考えるべきだ。

自分のちんけなプライドよりも、親しみやすいTAでいることのほうが大事だと思う。

飲食バイト的に働く

意外と細かい仕事はめっちゃある。プリントの準備、足りない物品の補充、皿洗い......。

教員にやらせるには忍びない雑事が頻繁にポップアップするので、それらに気づいて迅速に対処しなきゃいけない。

今日もくるくる働いてたんだけど、結構飲食バイト的だなと思った。 やることを見つけてすぐに動いて、その最中にも他にやることがないか俯瞰して探す感覚。

こないだ寿司屋バイトを始めてから段々身についてきたので、活かすのが楽しい。

終わり

おわり。

宿舎の布団の中でスマホでポチポチ書いてるんだけど、意外とスマホでも長文を打てるもんだな。というか、最近は就活のESとかもAIにほぼ書かせてるんだけど、100%自分の力で文章書くのたのしっ。

というわけで、引き続き実習がんばるぞー。

0時を回っちゃったけど、昨日のエントリということにさせてほしい。

ブローガストやってみようかな

はてなブログを更新したいなーってずっと思ってたんだけど、実際に記事を書くほどのモチベはなくて放置していた。

「どうせ更新するなら良い内容の記事にしたい」「たくさんの人に読まれたい」という感情もあって、書くのに時間がかかりそうだったという理由もある。

でも、久しぶりに記事を書いてそんなに上手くいくわけがないし、文才の優れた人ならいざ知らず、自分のような凡人はたくさん書きながらブログという形式に慣れていくしかないんだろうね。

......なんて頭の隅で考えながら、研究やら就活やらで慌ただしくて結局ブログを動かせずにいたところ、ふと以下の記事を目にした。

8月に毎日ブログを書くイベント「ブローガスト」に参加してみようかなと。 - 世界のねじを巻くブログ

「8月に毎日ブログを更新する」という世界規模のウェブイベント!

毎日更新できなくても、31日中15日を目指せばよいという優しさ!!

これはやるっきゃないでしょう。8月はもう5日経ってしまったが、そんなの関係ない。

ということで、今日からブローガストに勝手に参加します。毎日更新できるかわからないけど、がんばるぞ。

ここから釧路を半日回ったことでも書こうと思ったんだけど、疲れたのでここまでにしよう。 ブログは適当でもいいのだ。ガハハ

近況および楽に暮らす工夫

京都は先週からマジで寒い。

ここ数日の調子は最悪で、先週末にハードに動いた反動でどっと疲れが出て、布団でくねくねしながらスマホを見る時間がとても長くなっている。

ちょっと調子悪いなっていう兆候はあったんだけど(e.g. 起床がだるい、初対面の人とのコミュニケーションで下手を打つ、自信なさげなボディーランゲージを無意識に多用する等)、それが現実になってしまった。

調子が悪くなっている原因は、太陽の光を浴びていない、食事の質が悪い、運動していない、あたりだろう。こういうのって一旦落ち込むと回復する気力も削がれて長引くからなあ、と人ごとのように思う。やべー。

最近、なるべく楽にまともな生活を維持しようと工夫してるんだけど、こうやってズドンと底に落ちてしまうと全部無駄な気がして悲しい。

ここで終わってもいいんだけど、せっかくなので自分が試みている工夫を書こうかな。精神状態が悪化して実践できていないものもあるけど。

朝食のメニューを決める

朝食は食べた方がいいけど、いちいちメニューを考えて作るのはだるいので、食べるものを固定した。白米・豆腐・納豆・キムチを毎日食べている。

たんぱく質を取りたいけど、肉を調理するのは面倒だし、かといって加工肉を常食するのは体に悪そうなので植物性たんぱく多めのメニューにした。キムチは豆腐の味付けプラス発酵食品枠。

具体的には、白米は2合ずつ炊いておいて、2回(1回1合)か3回(1回2/3合)で使い切る想定。豆腐と納豆は3パック入りの安いやつを買ってる。キムチは以下の商品が瓶入りかつアミノ酸無添加で、味も悪くない上にわりと安いのでリピートしてる。

www.e-sanki.jp

このメニューのいいところは、全部既製品かつまとめ買いが容易なこと。今のところ、週末に翌週の分を買いだめしておくという運用にしている。

生存ボックスを作る

呉樹さんのエントリに書かれている、すぐ食べられる食品を入れておく「生存ボックス」を作った。ポカリ、おかゆ、パックごはん、レトルト食品、袋麺、お菓子などを入れている。やはりあると安心感が違うし、精神状態が悪化した今も大いに役に立っている。使ったらスーパーで定期的に買い足すという運用にしている。

水を飲む

水を飲む習慣が全くなかったことに気づいたので、意識的に水を飲むようにした。水って意外とうまい。

Google ToDoでタスク管理

記憶力がかなり悪いので、タスクが生じた瞬間にGoogle ToDoに入力するようにした。タスクの重みづけも重要なので、「やるべきこと」「やりたいこと」「買いたいもの」の3種類のリストを作って分類している。明確な締切や繰り返しがあるものは、ToDo上の機能を使って反映させている。とはいえ、書いただけで着手できていないタスクが多々あるので、タスク管理の方法を改善できないかは考えたい。

 

眠くなってきたのでこのくらいで。

ところで、ここまで書いてきた工夫は、以下のかもリバーさんの記事および呉樹直己さんの記事を参考にしています。どちらも、「気分が落ち込んでもローコストでできる」生活の工夫が紹介されていて、とても良い記事。xcloche.hateblo.jp

www.infernalbunny.com

 

うーん、うまく人間らしい生活を送りたいよ~~~~~~

(終)

 

あるいは蒸発について

まず書いておくと、ひとつ前の記事に書いた娯楽断食はわりとうまくいった。ただし、期間限定というレギュレーションだったから、終わってからはすっかり元の生活に戻ってしまった。とてもありがちなことである。

蒸発という甘い考えは、困窮したひとびとにしばしば舞い降りて、彼らに現状を忘れて空想に耽るひとときを与えてくれる。それは最近の私にも。

どこか遠く離れた土地、誰も知り合いがいない土地に行けたなら。

面倒なしがらみもなく、面倒な仕事もない、最低限の衣食住が揃った土地で穏やかに暮らせたなら。

そんな益体のないことを考えるときは、いつだって現実がままならないときで、要するに最近の私は行き詰っているのだった。

つげ義春は、蒸発というモチーフに正面から向き合った漫画家の一人だろう。

 

彼の作品を初めて読んだのは、たしか2019年の一橋のオープンキャンパスのときだった。きれいなロマネスク様式の建物の写真がスマホのフォルダに残っている。

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どうせなら図書館も見てやろうじゃんと思っていた私は、書棚を見て回って、漫画コーナーにあった『無能の人』に目を止めたのだった。風采の上がらない主人公が売れないとわかって石を売る話。なんだか暗いなあと思って、そこでは読み進めなかったが、しっかりと記憶には残っていた。

そうして、その1年後、高校3年生のときに、勉強していた図書館で再びつげ義春に会うことになる。図書館には『つげ義春全集』が揃っていたのだ。『無能の人』『やなぎ屋主人』『ほんやら洞のべんさん』『西部田村事件』『李さん一家』など、寂しさとユーモア、都市性と土俗性が混じったようなつげ義春の漫画に、私はすぐ傾倒してしまった。

蒸発や漂泊をテーマとした作品を多く描いたつげ義春が、87歳になった今でも生きながらえて、調布のどこかで暮らしていると考えると、それは何か希望になる気がして、ときどき思い返している。

先々週、紀伊山地のブナ帯に行ってきた。かつて多くの山伏たちが登ったであろう信仰の山々。空気は冷たく澄んでいる。向こうの斜面には冬日が当たり、そこに密に立っているブナの白い幹が、遠くからでもよく見えた。

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娯楽断食をはじめる

寮の先輩であったところのあおい知颯さんが書いたこのnoteがある。

 

note.com

 

このnoteの主題は、プラトンの『国家』を読んだ感想で、特に、『国家』は弁明(≠証明)の形式で進んでいくことや、哲学と科学の違いが語られる部分はとても興味深い。 

しかし、当時私があおいさんの口から聞いていて、かつこのnoteを刺激的にしているのは、後半の「娯楽断食」について書かれた部分であろう。

少し引用してみる。

 

プラトンの言い分は、ざっくり言えば「魂においては、理性が欲望を制御している状態こそ望ましい」ということである。もっと言えば「悲しみに暮れる暇があったらいち早くその状況を打開して幸福になる道を考えんかい」ということである。

また「自分に適した仕事をする時間以外は何もしないことが正しい」とも述べる。

主は一旦これを信じて、読書8日目から娯楽断食というものをしてみた、というわけである。上の二つのことが同時に実行できると直感したからである。一人の時間にしていた、ゲーム、漫画、アニメ、youtube、音楽を断った。

こうすることで、学生の本分である「勉強」以外何もしない、が実現できた。体験してみると、それまでのように心が乱れず、常に勉強による報酬を感じられて、不思議な心地よさ、幸福があった。

 

要するに、プラトンが理想とした「理性が欲望を制御する状態」を再現するべく、欲望の対象である娯楽を制限してみたら、意外とうまくいったという話である。

インターネットの娯楽で心ならずも時間を溶かしてきた身としては、この娯楽断食はとても魅力的に映る。ストイックな姿勢で娯楽を遠ざけて学問に専心する! これが学生としての理想でなくて何であろうか。

肝心の『国家』も読んでいない(私はプラトンの著作をひとつも読んだことがない)のに結果だけまねるのは下品だと思うし、なにか一発逆転願望のようなものも感じられてよくない気がするが、ともかくこの娯楽断食をやってみたいと思う。

レギュレーションは以下。

 

  • ひとりの時間にほとんどの娯楽を断つ
    • 娯楽として、1冊だけ本を読むことのみ許される。ただしその本を通読するまで次の本に移ってはいけない
    • 娯楽に含まれないものは、専門の勉強、資格の勉強、プログラミング、寮とサークルの仕事、連絡、執筆、標本整理、部屋の片づけ、運動、食事、睡眠のみである
  • 言明されていない部分についてもなるべく欲望を抑えて行動する(e.g. 睡眠は娯楽に含まれないからといって寝ブッチをしない)
  • だれかと一緒にいるとき上記は適用されない
  • 2024年9月末(うちの大学の夏休みの終わり)まで9日間行う

 

娯楽を余事象から考えて定義しているが、これは問題ないだろう(娯楽はあまりにも膨大なため)。どちらかというと問題は「娯楽に含まれないもの」が多すぎることだが、サークルや寮で〆切つきの仕事がたくさんあるのが悪い。

ありがちなことだが、レギュレーションを少しずつ改変していくと全く意味がないので、これを忠実に守ることにする。

それではやってみよう。かつてのあおいさんと同じ安寧を得られるかはわからないが、何がしかが得られることを祈って。

午前4時の部屋にて

 最近どうしているかと聞かれたらどうもしていないと答えざるをえない。

 午前4時。たまり部屋の古い畳はあちこちが毛羽立っていて、その上に無造作に置かれた座椅子も大して清潔ではない。扇風機とウィンドウクーラーが、意識の内側ぎりぎりのところでうなり声をあげている。けだるさと深夜特有の少しばかりの高揚感。PCの電源をつけてはてなブログのエディタを開いてみる。

先月撮った写真。網走のオホーツク海

 3回生というのはたちが悪い、という話を最近友人と何度もしている。下に1, 2回生の後輩ができるし、いつのまにかサークルでは最高代になり、研究室配属が始まる。1, 2回生までは「ナイーブだが好奇心旺盛な人間」というキャラクターで通してきた(あるいは演じてきた/演じているうちに同一化してきた)し、そのキャラクターが自分の立ち位置とも合致している感覚があった。しかし、3回生になると「専門分野について十分な知見を持ち責任を果たせる人間」が求められている気がして、なんとなく居心地が悪くなってきている。すなわち、求められる振舞いが後輩しぐさから先輩しぐさに変わりつつあるのだ。

もちろん、コミュニティごとに求められる振舞いのフェーズは変わる。サークルでは先輩しぐさが必要になっているが、例えば研究室の中では(たかが3回生のぺーぺーなので)まだ後輩しぐさが有効だろう。しかし、学部の4年間を俯瞰して見たときに、3回生は後輩しぐさから先輩しぐさへの転換期と言えるのではないか。

 だからこそ最近、謎のあせりが生じているのかもしれない。だけど中途半端に忙しい(数えてみたら夏休みの2か月のうち45日くらい旅行していた)ため、勉強をしたりしてあせりを解消できない。家に帰ってきても旅行疲れで生活リズムが狂っていく。飲み会は頻繁に行われて、睡眠はだんだんと削れていく。冷静な判断ができない。

 そんなとき、ぼくはいつものようにスマホを見てしまい、引き際を失う。ベテランち、雷獣、Tennis TV、あるいはたくさんのブログやnoteたち。はてな匿名ダイアリーはてなブックマークを、帰省して暇をもてあましている人のように漫然と眺める。コンテンツは無数に供給される。インターネット・ポルノとその無断転載もあまねくあふれている。

注意力を散漫にしてこれらを見ていると脳も時間も溶けていく。やめるきっかけを自分で作れない。いや、正確には「飽きること」が自発的に動き出すきっかけになるが、見始めたときからゆうに3~6時間くらいは経っているのが普通だ。今日(昨日)も同じで、18時くらいからなんと9時間以上もスマホを見ていたことになる。マジモンのアホである。

 そうやって飽きてスマホをやめてシャワーを浴びるとなにか元気が湧いてくるのもいつものことだ。3時半くらいから、Spotifyスピッツを流しながら床掃除をしたりシーツを変えたりした。本当は空虚であっても体が動くのはいいことだ。ぼくが今後どうなるかはわからないが、わからないなりに生きていくしかない、というつまらない結論になる。どうであれ時間は流れるのだけど、せめて踊っていたいとは思う。それが実現できるかはさておき。

今月撮った写真。塩飽諸島(本島)から瀬戸内海を臨む

ぼくたちはなんだかすべてわすれてしまうね

  • また体調を崩して、普段ふつうにできていることができなくなってしまった。体調を崩すと(なぜか)ブログを書きたくなるので、ブログの記事にあらわれる自分はいつも曇った横顔をしている。それでもいいと思う。

 

  • Twitterのタイムラインは断片的な情報の集積というべきもので、無数に生まれるその断片たちを一瞬で読んで、一瞬でレスポンスをして、一瞬で忘却するということを繰り返していると、確実に体調が悪くなる。布団に横たわってTwitterを見ていると、特に。まず、だんだんとだるくなってくる。手足に力が入らない。起き上がるのが面倒くさい。そうして、ただ頭のみが覚醒するのだけど、その頭もぼうっとしてきて、メタ認知ができなくなる。いたずらにビビッドな情報が脳を通り過ぎていくだけ。さっき読んだツイートはすぐに忘れてしまう。俺はなんでこんなことをしてたんだっけ。

 

  • そして、この現象はTwitterで特に顕著だけど、インターネットすべてに言えることでもあると思う。私たちはネット上の膨大な情報に、スマホという小さい端末を通じてたやすくアクセスできる。ただ検索窓に数単語入力するだけで。あるいは、サジェストされる音楽や動画を選んでいくだけで。アクセスに必要な労力が限りなくゼロに近いからこそ、無目的にコンテンツを摂取することが可能になる。もはや調べたいこと、見たいもの、聴きたいものなんてないのに、惰性でスマホを手にし続ける。どうすればいいんだろうね。

 

  • 主語が大きくなってしまった。とにかく、ここ数日、夜にスマホを見続けるという行為に浸りきってしまい、当然ながら睡眠が削れてとてもまずい。3日連続で早朝の4時に寝たりしている。最初の1, 2日は体力のストックがあったので何とかなったが、いよいよだめになってきた。おそらく、生活習慣の改善には、健康的な生活リズムを(文字通り)習慣として導入するしかないのだろう。毎日夕食を早くたべて、シャワーを浴びて、スマホを見ず、寝る。私のような人間にとっては習慣化がいちばん難しいとはいえ、がんばるしかないか。
    • そういえば、はてブでは、id:xevraの「睡運瞑菜」がミームになっていたことを本当に久しぶりに思い出した。高3~浪人のはてなを巡回していた時期が懐かしい。大していい思い出じゃないけど。

 

  • 日記;今日は午後3時ごろに活動を開始し、力を振り絞って部屋を出て近所のカフェに行った。ごはんを作る余裕がないときに食べるカフェ飯はとても美味しい。玉ねぎ、マッシュルーム、コーンビーフが入ったピラフだった。バターとオリーブオイルがほのかに香ってhào
    • カフェでは、岩波のゴーゴリ『検察官』と、芥川『河童・玄鶴山房―他八篇』を読んでいた。どちらも積読本。『検察官』は非常にスタンダードな喜劇という感じ。貧乏人が地位の高い人を騙って好待遇を受けるという構造はわりと典型的だよね。「お偉いさんが貧乏人にへこへこする」「お偉いさんが都合の悪いことを隠蔽しようとする」「最後に貧乏人だということが明かされる」「本当の地位の高い人が現れて裁きが下る」みたいな、この構造で物語を展開するときの要所がほぼ全て抑えてある。というか、こういう古典を読むときにありがちな現象だけど、『検察官』が下敷きになって私が思う「要所」が決まったのかもしれない。古典すぎて実は現在の読者の価値判断にもその古典が影響しているケース。
    • 『河童~』はまだ読み途中。最晩年の短編たちだけあって基本的に暗い。

 

  • 岡崎京子『ぼくたちは何だかすべてわすれてしまうね』、以前から読んでみたいなあと思いつつまだ読めていない。実際のところ、ぼくたちはなんだかすべてわすれてしまう。